明治時代にさかのぼって
芸大のある上野の地って、こんなに由緒あるすごいところだったんだぁ~!!!
今日は芸大の楽理科の授業で寛永寺と旧奏楽堂(東京音楽学校)を訪れるということで、私も仲間入りさせていただいて、とっても貴重なお話をたくさんきくことができました
まずは普通なかなか中に入ることができない寛永寺
↑ 江戸時代の上野
今の上野と重ねてみると、こんなに歴史のある地だったのかと驚きました!!!!!
寛永寺は江戸城の鬼門を塞ぐこと、そして鎮護国家の祈祷寺を今日の延暦寺に倣い上野に建てられたそうです。徳川秀忠に上野に建てるよう進言した天海僧生は大変な桜好きで、多くの桜の木をこの辺りに植えました。「上野桜木」という地名にもあるもんね・・・
寛永寺の中へ入ると・・・
徳川の最後の将軍、徳川慶喜はこの寛永寺で謹慎していました。幕末で多くの課題を抱え込んでいた彼は、痩せて心労が絶えない様子だったと伝えられているそうです。この部屋のこの辺りに座っていたのかなぁ・・・
↑ 美しいお庭も
寛永寺墓地には東京音楽学校を卒業し、ソプラノ歌手として活躍した日本最初の国際的プリマドンナであった三浦環さんのお墓が。
三浦環さんといえば、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の主演2000回を記録したので有名!!なんだそうですね!このたび初めて知りました(笑)それにちなんで、お墓が蝶々の形になっていて、Madam Butterflyと刻まれていました
その後、みんなで旧奏楽堂へ・・・ここの移築やオルガンの改修のころの話を聞いて、どれだけ多くの人によってのものであったかを改めて感じました。昔は防音のために藁やおがくずを壁のなかに入れて、吸音させていたというのは興味深かったな・・・
最後にオルガン科の私がその長い歴史をもった旧奏楽堂のオルガンを演奏してみんなに音色をきいていただきました。オルガン科でも1・2年生の間しか触る機会のない旧奏楽堂のオルガン・・・2年以上振りに弾いてみて、いろんな意味で懐かしい感触(笑)
本当に歴史あるこの上野の素晴らしい地で学んでいることを誇りに思えた一日でした
ま~みん
今日は芸大の楽理科の授業で寛永寺と旧奏楽堂(東京音楽学校)を訪れるということで、私も仲間入りさせていただいて、とっても貴重なお話をたくさんきくことができました
まずは普通なかなか中に入ることができない寛永寺
↑ 江戸時代の上野
今の上野と重ねてみると、こんなに歴史のある地だったのかと驚きました!!!!!
寛永寺は江戸城の鬼門を塞ぐこと、そして鎮護国家の祈祷寺を今日の延暦寺に倣い上野に建てられたそうです。徳川秀忠に上野に建てるよう進言した天海僧生は大変な桜好きで、多くの桜の木をこの辺りに植えました。「上野桜木」という地名にもあるもんね・・・
寛永寺の中へ入ると・・・
徳川の最後の将軍、徳川慶喜はこの寛永寺で謹慎していました。幕末で多くの課題を抱え込んでいた彼は、痩せて心労が絶えない様子だったと伝えられているそうです。この部屋のこの辺りに座っていたのかなぁ・・・
↑ 美しいお庭も
寛永寺墓地には東京音楽学校を卒業し、ソプラノ歌手として活躍した日本最初の国際的プリマドンナであった三浦環さんのお墓が。
三浦環さんといえば、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の主演2000回を記録したので有名!!なんだそうですね!このたび初めて知りました(笑)それにちなんで、お墓が蝶々の形になっていて、Madam Butterflyと刻まれていました
その後、みんなで旧奏楽堂へ・・・ここの移築やオルガンの改修のころの話を聞いて、どれだけ多くの人によってのものであったかを改めて感じました。昔は防音のために藁やおがくずを壁のなかに入れて、吸音させていたというのは興味深かったな・・・
最後にオルガン科の私がその長い歴史をもった旧奏楽堂のオルガンを演奏してみんなに音色をきいていただきました。オルガン科でも1・2年生の間しか触る機会のない旧奏楽堂のオルガン・・・2年以上振りに弾いてみて、いろんな意味で懐かしい感触(笑)
本当に歴史あるこの上野の素晴らしい地で学んでいることを誇りに思えた一日でした
ま~みん
by mint-cherry
| 2010-09-30 23:03
| ま~みんの一日